「理解することと、実際にやることの間には、巨大な谷がある」——マーク・ステックドーンはこの認識から、前著 This is Service Design Thinking(2010)の10年後に本書を世に出した。前著がサービスデザインの「概念と思想」を伝えたとすれば、本書 This is Service Design Doing(2018、邦訳2020)はその「実装」を扱う。
デザイン思考の学習者が壁にぶつかるのは、たいていフレームワークを理解した後だ。共感マップの書き方は知っている。ダブルダイヤモンドの図も描ける。しかし「では来週、チームで何をするか」という問いに答えられない。本書はその「ではどうするか」に直球で応答する。
本書の位置づけ——「実装の教科書」
This is Service Design Doing は全8パートで構成されるが、その大半は「ワークショップをどう設計し、運営し、組織に定着させるか」に費やされている。理論の説明は最小限に抑えられ、すぐに手を動かせる形式に徹している。
デザイン思考との関係を整理しておくと、サービスデザインはデザイン思考の「実装形態のひとつ」だ。デザイン思考が問題解決の思考様式を提供するのに対し、サービスデザインはその思考様式をサービス・エクスペリエンスの設計に応用する専門領域として発展した。本書はその接点を理解する上でも有効だ。
著者4名はいずれもサービスデザインの実践者であり、それぞれが異なる地域・産業での実装経験を持つ。この多様な実践基盤が、本書の内容に現場感を与えている。
5つのサービスデザイン原則
本書は前著の5原則を引き継ぎながら、実践文脈でより深く掘り下げる。
1. ユーザー中心(User-Centred)
サービスを設計する際、常にサービスを利用する人々の視点から体験を考える。これはデザイン思考の共感フェーズと直接対応する原則だ。本書で特に強調されるのは、「ユーザーを観察するだけでなく、ユーザーを設計プロセスに参加させる」共同創造(Co-creation)の実践だ。
2. 共同創造(Co-Creative)
すべてのステークホルダーを設計プロセスに含める。顧客、従業員、経営者、パートナー企業——それぞれが異なる知識と視点を持つ。設計の「正解」は単一の専門家から生まれるのではなく、多様な当事者の対話から浮かび上がる。ワークショップ現場でよく起こるのは、「顧客向けに設計しているのに、顧客が一人も部屋にいない」という状況だ。本書はこの構造的欠陥を解消するファシリテーションの具体手法を提供する。
3. シーケンシャル(Sequenced)
サービス体験を時系列のシーケンスとして設計する。単一の接触点ではなく、サービスの全期間を通じた「旅」として捉える。カスタマージャーニーマップはこの原則の代表的なツールだ。本書では、ジャーニーマップの作成手順だけでなく、どの段階でどのデータが必要か、どう組織内で共有するかまでを丁寧に解説している。
4. 実在するもの(Evidencing)
無形のサービスを有形のもので証拠立てる。受付で渡されるカード、メール確認書、空間のデザイン——これらはサービスを「見える化」するアーティファクトだ。本書は、サービスのタッチポイントを物理的・デジタル的なアーティファクトとして設計する思考を体系化する。
5. ホリスティック(Holistic)
サービスのすべての側面を統合的に考える。フロントステージ(顧客が見る部分)とバックステージ(顧客が見えない部分)の両方を設計する。サービスブループリントはこの統合的視点を可視化するツールとして本書で詳しく扱われる。
本書の核心——「リサーチから実装まで」の統合プロセス
本書が他のサービスデザイン書籍と異なる最大の点は、リサーチ・アイデア発想・プロトタイピング・実装の全工程を一冊でカバーする点だ。
特に実践的に有用なのは「チェンジマネジメント」の章だ。サービスデザインの手法を学んだ実践者が最初につまずくのは「組織をどう動かすか」という問いだ。デザインスプリントの結果が承認されない、プロトタイプが量産につながらない、チームのモチベーションが続かない——これらは手法の問題ではなく、組織変革の問題だ。本書はそこまで踏み込む。
200回以上のワークショップで繰り返し観察されるパターンがある。デザイン思考やサービスデザインの「初回ワークショップ」は成功する。参加者のエネルギーが高く、新しい視点が生まれる。問題は2回目以降だ。日常業務に戻った参加者は、前回の知見を活かせないまま同じ課題に戻る。本書のチェンジマネジメント章はこの「初回以降をどう設計するか」に答えを持っている。
デザイン思考実践者への読み方
デザイン思考をすでに学んでいる実践者が本書を読む際、以下の点に注目すると吸収効率が上がる。
サービスブループリントの実践手順を深める。ダブルダイヤモンドのプロセスを組織に実装する際、サービスブループリントはフロントステージとバックステージを統合する最も強力なツールのひとつだ。本書の解説は現時点で手に入る最も詳細なものに属する。
ワークショップ設計の型を習得する。本書には、それぞれの手法に対応する「ワークショップデザインテンプレート」が付属する。参加者構成、時間配分、必要な材料、進め方のバリエーション——実際にセッションを組み立てる際のチェックリストとして機能する。
ビジネスサイドへの説明ロジックを学ぶ。「なぜサービスデザインが必要か」を経営層に伝える際の言語が本書には豊富に含まれる。ROI計算のフレームワーク、パイロットプロジェクトの設計方法、成果の測定手法——これらはデザイン実践者が最も苦手とする「組織内売り込み」を支援する。
本書の限界と補完
本書の分量(500ページ超)は、網羅性の反面、情報密度の高さに読者を圧倒することがある。辞書的に使う——特定の手法が必要になった時に該当章を参照する——という読み方が実践的だ。
また、本書はBtoCサービス(小売、ホスピタリティ、公共サービス)の事例が中心であり、BtoBサービスや内部業務プロセスの改善への応用は読者自身が翻訳する必要がある。
デザイン思考の基礎理解は本書の前提だ。デザイン思考を初めて学ぶ場合は、『デザイン思考の教科書』やIDEO流のd.schoolメソッドから入り、本書はその次のステップとして手にとるのが適切だ。
結論
本書が問うているのは「デザインを学んだ後、組織で何ができるか」だ。その問いに正面から向き合う一冊として、デザイン思考の実践者が組織への実装フェーズに入る際に参照する価値は高い。
理論と実践の間の谷を渡るための橋——本書の役割をステックドーンはそう定義した。その谷が想像より深いことに気づいた実践者にとって、本書は有効な足場を提供する。
書誌情報
- 原著タイトル: This is Service Design Doing: Applying Service Design Thinking in the Real World
- 著者: Marc Stickdorn, Adam Lawrence, Markus Edgar Hormess, Jakob Schneider
- 出版: O’Reilly Media, 2018
- 邦訳出版: BNN新社, 2020
- ページ数: 568ページ(原著)
- 対象読者: サービスデザイン・デザイン思考の実践者、UXリサーチャー、プロダクトマネージャー