ドアを前にして、引くべきか押すべきか迷った経験は誰にでもある。コンロの4つのつまみを見て、どれがどのバーナーに対応するか瞬時に理解できないコンロを前に戸惑った経験も同様だ。
Donald Norman(ドナルド・ノーマン)は、こうした「使いにくさ」の原因は使う人の側にあるのではなく、デザインの側にあると主張した。1988年の初版発行以来、『The Design of Everyday Things』はデザイン思考の理論的礎として読み継がれてきた。
書籍の概要
誕生の背景
初版は1988年、『The Psychology of Everyday Things』として刊行された。その後1990年に改題、2013年には大幅加筆の改訂版が出版された(日本語訳の新版は2015年、新曜社刊)。
著者のドナルド・ノーマンは認知科学者であり、UC San Diego、Apple(アドバンスト・テクノロジー・グループ担当副社長)、NNグループ共同設立者、ノースウェスタン大学教授という経歴を持つ。本書は彼の認知科学の知見を、日常の物理的なモノのデザインへと接続した作品だ。
核心のメッセージ
「使いにくいのは、使う人の問題ではなくデザインの問題だ」 — この一文が本書の全てを要約している。
ワークショップでよく起こるのは、参加者が「うちのユーザーはリテラシーが低いから使いこなせない」と語る場面だ。しかしノーマンの視点から見れば、これは思考の逆転が必要な瞬間。ユーザーが使えないのではなく、デザインがユーザーを想定していないのだと。
6つの設計原則
ノーマンは、優れたデザインに共通する6つの原則を定義している。
1. アフォーダンス(Affordance)
アフォーダンスとは、物の形や素材が「こう使える」という手がかりを自然に提示する性質だ。椅子は座ることを、取っ手は引くことを、平らな板は押すことをアフォードする。
問題は「知覚されないアフォーダンス」にある。 デザイナーが意図した使い方が、見た目から伝わらない時、ユーザーは迷う。ガラスのドアに「PUSH」と書いてある時点で、そのデザインは失敗している。
2. シグニファイア(Signifier)
シグニファイアはアフォーダンスを知覚可能にする信号だ。ボタンに描かれた矢印、ドアの縁の形状、コンロのつまみの配置がこれにあたる。
実際にやってみると、シグニファイアのない製品がいかに多いかに気づく。インターフェースデザインの現場でも同じことが起きている。クリックできる要素とできない要素を、色や形で区別しないUIは、デジタル版の「押すべきか引くべきかわからないドア」だ。
3. 対応づけ(Mapping)
対応づけとは、コントロールと結果の空間的・概念的な関係だ。4つのバーナーを正方形に配置したコンロで、4本のつまみが一列に並んでいれば、どのつまみがどのバーナーを制御するかは直感的にわからない。
対応づけが自然であれば、説明書を読まずに操作できる。 これが「ベストなデザインは説明が不要」という原則の根拠だ。
4. フィードバック(Feedback)
フィードバックとは、操作が実行されたことを知らせる応答だ。ボタンを押した時のクリック感、スイッチを入れた時のランプ、フォームを送信した時の確認画面。
フィードバックがなければ、ユーザーは「操作が受け付けられたのか」がわからず不安になる。ワークショップでプロトタイプをユーザーテストすると、フィードバックの欠如が混乱の最大の原因になることが多い。
5. 概念モデル(Conceptual Model)
概念モデルとは、ユーザーが製品の動き方について持つ精神的なイメージだ。「フォルダにファイルを入れる」というコンピュータの比喩は、物理的な整理棚の概念モデルを借用している。
デザイナーの概念モデルとユーザーの概念モデルが一致しない時、使いにくさが生まれる。 デザイン思考の共感フェーズでユーザーリサーチが重要なのは、まさにこのギャップを発見するためだ。
6. 制約(Constraint)
制約とは、可能な操作を意図的に制限することで、誤操作を防ぐ設計だ。USBコネクタが特定の向きにしか差し込めないこと(物理的制約)、削除の確認ダイアログが出ること(論理的制約)などがその例だ。
デザイン思考との接続
人間中心設計(HCD)の理論的基盤
ドナルド・ノーマンは本書の中で「人間中心設計(Human-Centered Design)」という概念を提唱した。ユーザーのニーズ・能力・行動を理解し、その理解をデザインの中心に置くという思想は、デザイン思考の根本的な哲学と一致する。
デザイン思考の5ステップ(共感→定義→創造→プロトタイプ→テスト)の全体が、ノーマンの原則と照応している。共感フェーズはユーザーの概念モデルを探り、プロトタイプフェーズはアフォーダンスとシグニファイアを試し、テストフェーズはフィードバックと対応づけを検証する。
行動の7段階モデル
改訂版で詳述された「行動の7段階モデル」は、実践的なデザインの評価ツールとして使える。
- 目標を形成する(ゴールを持つ)
- 何をすべきかを計画する
- 行動の順序を決定する
- 行動を実行する
- 外界の状態を知覚する
- 知覚を解釈する
- 結果を評価して目標と照合する
ワークショップでよく起こるのは、製品の「4. 行動を実行する」の部分だけを設計して終わるケースだ。「1. 目標を形成する」から「7. 結果を評価する」まで、ユーザーの行動全体を設計対象として見る視座が必要だ。
失敗設計の3類型
ノーマンは設計の失敗パターンを明確に分類している。
スリップ(Slip): ユーザーが正しい目標を持ちながら、実行の段階でミスをする。「送信」と「削除」のボタンを隣に配置するデザインはスリップを誘発する。
ミステイク(Mistake): ユーザーが誤った目標を設定する。概念モデルがシステムの実際の動作と異なる時に起きる。
これらは「ユーザーのヒューマンエラー」ではなく「デザインエラー」だという視点が、本書の革命的な点だった。
実務への示唆
プロトタイプ評価のチェックリスト
本書の原則は、デザイン思考のプロトタイプ評価に直接使える。
- アフォーダンス: 操作方法が見た目から伝わるか
- シグニファイア: 操作可能な要素が視覚的に明示されているか
- 対応づけ: コントロールと結果の関係が直感的か
- フィードバック: 操作の結果が適切に伝わるか
- 概念モデル: ユーザーの精神的イメージと一致しているか
- 制約: 誤操作を防ぐ仕組みが設計されているか
実際にやってみると、このチェックリストを持ってユーザーテストに臨むだけで、観察すべきポイントが明確になる。「うまく使えていない」ではなく「アフォーダンスが伝わっていない」「対応づけが複雑すぎる」と問題を分類して言語化できる。
ワークショップでの応用
参加者からの声として「ユーザビリティの問題だと思っていたものが、実はデザインの問題だとわかった」という気づきは、本書の考え方を一度でも体験した人から繰り返し聞かれる。
本書を読んだ後の最初の実践は、自分のオフィスや自宅の「使いにくいもの」を10個挙げることだ。 ドアノブ、コピー機の操作パネル、会議室の照明スイッチ。それらを「なぜ使いにくいのか」をノーマンの言語で分析する練習が、デザイン思考の「観察眼」を鍛える最短ルートになる。
こんな人に読んでほしい
プロダクトマネージャーやUXデザイナーはもちろん、デザイン思考を学び始めた全ての実務者に読んでほしい一冊だ。特に「なぜデザイン思考ではユーザーリサーチが重視されるのか」という問いに悩む人にとって、本書はその根拠を理論的に整理してくれる。
また、組織内でデザイン思考の導入を推進している人にとっては、「ユーザーが悪い」という議論をデザインの問題へと転換するための語彙と論理を提供してくれる。
書誌情報
- Donald A. Norman, The Design of Everyday Things (Revised and Expanded Edition), Basic Books, 2013, ISBN: 978-0465050659
- 日本語版: D.A. ノーマン(著)、岡本明・安村通晃・伊賀聡一郎・野島久雄(訳)『誰のためのデザイン? 増補・改訂版』新曜社、2015年、ISBN: 978-4788514348
参考文献
- Donald A. Norman & Stephen W. Draper (eds.), User Centered System Design: New Perspectives on Human-Computer Interaction, Lawrence Erlbaum Associates, 1986(HCDの概念を先行提唱した論文集)
- Jakob Nielsen, Usability Engineering, Academic Press, 1993(ノーマンと並んでユーザビリティ研究を牽引した書籍)
- Tim Brown, Change by Design: How Design Thinking Transforms Organizations and Inspires Innovation, HarperBusiness, 2009(デザイン思考をビジネス戦略として展開した書籍)
- Donald A. Norman, “Human-Centered Design Considered Harmful,” Interactions, Vol. 12, No. 4, ACM, 2005(ノーマン自身によるHCDへの批判的省察)
- Don Norman & Jakob Nielsen, “The Definition of User Experience (UX),” Nielsen Norman Group, 2007(UXという概念の定義)