『This is Service Design Doing』(2018)は、サービスデザイン分野の実践的標準書です。Marc Stickdorn、Markus Edgar Hormess、Adam Lawrence、Jakob Schneider の4名が共著し、「サービスデザインを知っている状態」から「実際に組織で動かせる状態」へのギャップを埋めることを目的に書かれました。
前著『This is Service Design Thinking』(2010)が「考え方」を示したとすれば、本書はその「Doing(実行)」編。ツール・ファシリテーション・チームビルディング・変革マネジメントまでを一冊に統合しています。
サービスデザインの5原則
本書の理論的骨格は、サービスデザインを定義する5つの原則です。これはデザイン思考の実践者が「体験の設計」に踏み込む際の指針にもなります。
1. 人間中心(Human-Centered)
顧客・従業員・パートナー——サービスに関わる全ての人の体験を調査・理解することを出発点にします。共感フェーズの実践そのものであり、「仮定からではなくリサーチから始める」という規律。誰のために設計するかを、常に現実の人間観察から導き出す。これが5原則の根幹です。
2. 協働的(Collaborative)
マーケティング・IT・オペレーション・フロントライン・経営層、異なる部門の人々を同じプロセスに巻き込みます。「デザインチームが設計して引き渡す」モデルではなく、関係者全員が共同制作者(Co-creator)として参加することで、実装時の摩擦を減らします。
ワークショップ設計・ファシリテーション・コ・クリエーションセッションが、この原則を実現する手法です。
3. 反復的(Iterative)
完璧な解を一度で出そうとしない。小さなプロトタイプを素早く作り、現実のユーザー反応から学ぶことを組織のリズムにします。「失敗は学習コスト」——この前提が、このフェーズを支えます。
4. 連続的(Sequential)
サービスは時間軸の中で体験されます。本書は、サービスの全接点を「シーン(サービスシアターの場面)」として可視化することを推奨します。認知から購買・利用・解約・再購入に至るまでの時間軸を設計することが、一点の優れた機能よりも重要です。
サービスブループリントとカスタマージャーニーマップが、この「連続性」を設計する主要ツールです。
5. 実物(Real)
調査も設計もプロトタイプも、「現実の文脈・現実の人・現実の素材」で行う原則です。ペルソナや統計データを参照しつつも、実際のユーザーと対話し、実際の環境を観察し、動くサービスのモックを作ることを重視します。リアルであることが、思い込みを排除する最良の方法。
章別構成と要点
Part 1: Why(なぜサービスデザインか)
サービス経済の拡大と、機能改善だけでは解決できない体験課題の増加を背景に、サービスデザインの必要性を説明します。本書は「方法論の教科書」である前に「変化のケース」を作ることから始めており、組織内での説得材料としても機能します。
Part 2: What(何をするのか:リサーチ)
エスノグラフィック調査・コンテキストインタビュー・シャドーイングなど、サービスデザインにおけるリサーチ手法を詳解します。量的データの補完として、現場での「体験のリッチな記述」を得ることを重視します。
データ収集だけでなく、「何を問いとしてリサーチに臨むか」という問いの設計(Research Frame)の重要性も強調されています。これはDefine フェーズでの「HMW(How Might We)」問いの立て方と直結します。
Part 3: What(何をするのか:アイデア発想と概念設計)
アイデエーション・コンセプト発展・プロトタイプのシナリオ設計を扱います。本書の特徴は、ブレインストーミングの「発散」だけでなく、アイデアを絞り込む「収束」のファシリテーション手法にも詳細なガイドを提供している点です。
「ジャーニーの演劇的再現(Service Staging)」というアプローチが紹介されており、ロールプレイを用いてサービスの流れを体験的に評価する方法は、プロトタイプフェーズの実践に直接応用できます。
Part 4: What(何をするのか:プロトタイピングと実装)
本書がとりわけ詳細に扱うのがこのパートです。サービスのプロトタイプには「紙のモックアップ」から「実際の環境でのパイロット運営」まで複数のフィデリティ(精度)があることを示し、コストと学習量のトレードオフに基づいて段階的に検証精度を上げる方法を説明します。
サービスブループリント(Service Blueprint)の作成ガイドが充実しており、フロントステージ(顧客接点)・バックステージ(従業員業務)・サポートプロセス(システム・パートナー)の3層を整理する方法論は、オペレーション設計に踏み込む際の標準的フレームです。
Part 5: How(どのように組織で動かすか)
本書が前著との差別化として最も強化したのがこのパートです。ファシリテーション技法・ワークショップ設計・組織へのサービスデザイン導入戦略が詳述されています。
「プロジェクトチームの構成」「スポンサーシップの確保」「変化に抵抗する組織への対処法」など、実務的な課題に対するガイドが豊富です。デザイン思考の実践者が「チームを超えて組織全体に広げる」段階で参照できる、数少ない書籍の一つです。
サービスブループリント——実装の中核ツール
本書で特に詳細に扱われるツールが「サービスブループリント(Service Blueprint)」です。カスタマージャーニーマップが顧客の視点を中心に描くのに対して、サービスブループリントは顧客体験と組織内部の業務プロセスを同一の時間軸で可視化します。
構造は5層で構成されます。
最上部の**物理的証拠(Physical Evidence)は、各接点で顧客が目にする・触れるものです。次の顧客アクション(Customer Actions)は、顧客が取る行動と判断です。フロントステージのアクション(Onstage Contact Employee Actions)は、顧客と直接接する従業員の行動。バックステージのアクション(Backstage Contact Employee Actions)は顧客には見えないが必要な内部業務。最下部のサポートプロセス(Support Processes)**はシステム・パートナーが担う機能です。
この5層を時系列で並べることで、「どこでサービスが崩れるか」「コスト集中はどこか」「自動化できる業務はどれか」が一目で見えます。
デザイン思考との接続ポイント
本書はデザイン思考の5フェーズと深く連動しています。特に「共感→定義→アイデア→プロトタイプ→テスト」のサイクルを、サービスという時間軸を持つ体験の設計に特化して展開しています。
共感フェーズのリサーチ手法(エスノグラフィー・シャドーイング)、問題定義フェーズのジャーニーマップとサービスブループリント、発想フェーズのアイデエーションセッション設計、プロトタイプフェーズのフィデリティ段階管理——すべてにおいて、本書は実務レベルのガイダンスを提供しています。
デザイン思考を「プロダクト設計」だけでなく「体験全体の設計」に広げたい実践者にとって、最も網羅的なリファレンスです。
この書籍を活かすために
750ページを超える大著ですが、実務での参照は「ツール別」に行うのが効果的です。リサーチ章・ワークショップ設計章・ブループリント章を、プロジェクトの段階に応じて選択的に読む。著者自身もそれを推奨しています。
「何を学ぶために読むか」を最初に決める。全体を通読するよりも、直面しているプロジェクト課題に対応する章を深く読み、実際のファシリテーションに持ち込む。それが本書の設計意図でもあります。
200回以上のデザイン思考ワークショップで、参加者が「サービスブループリントを作ってみて初めてバックステージの業務の複雑さがわかった」と語ることは多い。本書のフレームワークは紙の上では理解できても、実際に自社のサービスに適用し始めると「フロントステージとバックステージの境界線はどこか」という問いが即座に生まれる。この実践的な摩擦を乗り越えるためのガイダンスが、本書が前著と最も大きく異なる部分だ。
書誌情報・参考文献
- Stickdorn, M., Hormess, M. E., Lawrence, A., & Schneider, J. (2018). This Is Service Design Doing: Applying the Tools and Methods of Service Design. O’Reilly Media. — ISBN: 978-1491927182
- Stickdorn, M. & Schneider, J. (eds.) (2010). This Is Service Design Thinking: Basics, Tools, Cases. BIS Publishers. — 前著。思考法の基盤を示した原典
- Shostack, G. L. (1984). “Designing Services That Deliver.” Harvard Business Review, 62(1), 133–139. — サービスブループリントの概念を初めて提示した論文
- Bitner, M. J., Ostrom, A. L., & Morgan, F. N. (2008). “Service Blueprinting: A Practical Technique for Service Innovation.” California Management Review, 50(3), 66–94. — サービスブループリントの学術的整理
- Polaine, A., Løvlie, L., & Reason, B. (2013). Service Design: From Insight to Implementation. Rosenfeld Media. — 本書と並ぶサービスデザインの標準参考書