ユーザーがサービスを使う前から、あるいは使いながら、頭の中に「このシステムはこういう仕組みで動いているはず」という理解の地図を持っています。この内的な理解の表象をメンタルモデルと呼びます。
重要なのは、このメンタルモデルが必ずしも正確ではないという点です。「正確かどうか」より、「ユーザーがそのモデルに基づいて行動する」という事実が設計において重要です。
メンタルモデルの概念的基盤
「メンタルモデル」という概念は、心理学者Philip Johnson-Lairdが1983年の著書 Mental Models: Towards a Cognitive Science of Language, Inference, and Consciousness(Cambridge University Press)で体系化した認知科学の概念です。Johnson-Lairdは、人間が外界を理解するための内部表象として、命題・アナログ的イメージとは異なる第三の認知形式としてメンタルモデルを位置づけました。
この概念をデザインの文脈に持ち込んだのが、認知科学者Donald Norman(ドナルド・ノーマン)です。
ノーマンの「3つのモデル」
Normanは著書 The Design of Everyday Things(1988年初版、邦訳『誰のためのデザイン?』)の中で、日常の製品とユーザーの関係を説明するために3つのモデルを対置させました。
設計者モデル(Design Model)
設計者が持つ「このシステムはこう動くべき」という意図と仕様の理解。設計者の頭の中にある正確なシステム像です。
システムイメージ(System Image)
実際の製品・インターフェース・マニュアル・広告など、ユーザーが接触できる物理的・情報的な表象の総体。設計者のモデルがユーザーに伝わる唯一の媒介です。
ユーザーメンタルモデル(User’s Mental Model)
ユーザーがシステムイメージから構築した「このシステムはたぶんこういう仕組みだろう」という理解。必ずしも正確ではなく、経験・類比・推測から形成されます。
Normanが問題化したのは、設計者モデルとユーザーメンタルモデルの乖離です。設計者は「正しい使い方」を知っているため、システムイメージが適切にメンタルモデルを形成できているかを体感しにくい。この非対称性が、「使いにくい製品」の多くの原因になっているとNormanは論じました。
デザイン思考とメンタルモデルの関係
デザイン思考の共感フェーズでは、ユーザーの思考・感情・行動を理解することを目的とします。メンタルモデルの把握は、この共感フェーズの核心的な目標の一つです。
ユーザーは「あなたが設計した通り」には考えていない
設計者にとって「当然の仕様」がユーザーには「理解できない謎」であることは頻繁に起きます。これは「ユーザーの理解が足りない」のではなく、「ユーザーのメンタルモデルと設計が整合していない」と捉えることがデザイン思考的な問題の見方です。
メンタルモデルは調査せずに想定できない
「ユーザーはこう思っているはずだ」という設計者の仮定は、メンタルモデルの乖離が起きているまさにその場所で機能します。ユーザーインタビューや観察でメンタルモデルを実際に把握することなしに、整合した設計は難しいです。
メンタルモデルの把握手法
インタビューによる把握
「このボタンを押したとき、何が起きると思いましたか」「今、この画面は何をしていると理解されていますか」という問いは、ユーザーのメンタルモデルを直接言語化させる効果があります。
特に有効なのは「大声思考(Think Aloud Protocol)」との組み合わせです。ユーザーに操作しながら頭の中で考えていることを口に出してもらうことで、操作の背景にあるメンタルモデルが観察できます。シンクアラウドプロトコルのファシリテーションと組み合わせることが多いです。
メンタルモデル図(Mental Model Diagram)
情報アーキテクチャ研究者のIndi Youngは、著書 Mental Models: Aligning Design Strategy with Human Behavior(Rosenfeld Media, 2008)でメンタルモデル図という手法を提案しています。ユーザーリサーチから得られた「ユーザーが達成しようとしていること・感じていること・考えていること」をタスク単位でまとめ、それに対して「現在の製品・サービスはどう対応しているか」を可視化するマップです。
このマップは、設計のギャップを発見するための定義フェーズのツールとして機能します。ユーザーのメンタルモデルが求めていることと、現在の設計が提供していることのズレが、問題定義の素材になります。
設計へのフィードバック
メンタルモデルの理解を設計に活かす際の主要な方向性は2つあります。
メンタルモデルに合わせた設計(適合戦略)
ユーザーが既に持っているメンタルモデルに設計を近づけることで、学習コストを下げます。「ゴミ箱」アイコンが削除を意味する理解はすでに多くのユーザーが持っており、この既存のメンタルモデルを活用した設計の例です。
メンタルモデルを変える設計(刷新戦略)
既存のメンタルモデルではうまく機能しない場合、新しいメンタルモデルを形成させる設計が必要になります。この際、段階的な移行・オンボーディング・比喩の活用(「スマートフォンはポケットに入るコンピューター」という比喩は、新しいカテゴリに対して既存のメンタルモデルを橋渡しする)が有効です。
どちらの戦略を取るかは、ユーザーリサーチによる現在のメンタルモデルの把握なしには判断できません。
参考文献
- Donald Norman, The Design of Everyday Things, Basic Books, 1988(改訂版 2013年、邦訳: 岡本明他訳『誰のためのデザイン?』、新曜社)
- Philip Johnson-Laird, Mental Models: Towards a Cognitive Science of Language, Inference, and Consciousness, Cambridge University Press, 1983
- Indi Young, Mental Models: Aligning Design Strategy with Human Behavior, Rosenfeld Media, 2008