サラ・ベックマン

1993年にUCバークレーMBAカリキュラムにデザイン思考を持ち込んだ先駆者。「学習プロセスとしてのイノベーション」フレームワークを提唱し、ビジネスとデザインと工学の境界を越えた教育モデルを構築してきた。

サラ・ベックマン(Sara Beckman)は、UCバークレーでデザイン思考が「流行語」になる20年以上前から、その実践をMBAカリキュラムに組み込んだ人物だ。

1993年、彼女はハース経営大学院で「デザインを戦略的ビジネス課題として考える(Design as a Strategic Business Issue)」という初のデザインコースを立ち上げた。当時、ビジネススクールでデザインを正課科目として教えようとすること自体が、組織の内外で「異端」に見えた時代だった。


経歴:エンジニアリングからビジネスへの境界越え

スタンフォード大学で産業工学・エンジニアリングマネジメントの学士・修士・博士号、および統計学の修士号を取得。純粋な工学の訓練を受けたのち、コンサルティング会社Booz, Allen & Hamiltonの「オペレーション管理サービス部門」に参加し、企業の製造・開発プロセス改善に従事した。

その後ヒューレット・パッカードで「チェンジマネジメントチーム」を率いた経験が、「組織が変わる時に何が起きるのか」を身体で知る機会になった。HP在籍時の経験が、後のイノベーション教育の土台を作った。

UCバークレーに着任後、ハース経営大学院の教授としてのみならず、工学部機械工学科にも籍を置く「バウンダリー・スパナー(境界を越える者)」として活動してきた。経営学と工学という、カリキュラム上も文化上も分断されやすい2つの領域を、同一人物が行き来することの意味を体現した教育者だ。


コア理論:「学習プロセスとしてのイノベーション」

ベックマンの学術的貢献で最も引用されているのは、スタンフォード大学機械工学科のAdjunct ProfessorでありPoint Forwardの創業者でもあるマイケル・バリー(Michael Barry)との共著論文 “Innovation as a Learning Process: Embedding Design Thinking” だ(California Management Review, Vol.50, No.1, Fall 2007, 累計700件以上の引用)。

この論文が提示したイノベーションモデルの核心は、「デザイン思考は特殊な創造性の発揮ではなく、人が学ぶ方法そのものを革新プロセスに埋め込むことだ」という命題だ。

モデルは4象限の構造を持つ。「観察・感覚」「フレーミング・意味付け」「アイデア創出」「プロトタイピング・実験」という4つの学習様式が、イノベーションのプロセスを構成する。ビジネス側のアクターが「測定可能な成果」に向かって収束しようとするのに対し、デザイン側のアクターは「文脈の理解と意味の発見」に時間を割く——この緊張を「対立ではなく補完」として機能させるフレームワークとして設計した。

このモデルは、d.schoolの5フェーズと並んで、デザイン思考の学術的参照点として世界各地の大学教育に採用されている。


教育上の実践:「Managing New Product Development」の創設

工学部のAlice Agogino教授との共同で立ち上げた「Managing New Product Development」コースは、UCバークレーの授業の中でも「歴史的に最も人気のある科目の一つ」として記録されている。

このコースの設計は、当時としては革新的な試みだった。工学・ビジネス・デザインの学生が1つのチームを組み、同一学期内で「アイデアから最初のプロトタイプへ」を完結させる。学部や大学院の縦割りを横断する設計が、参加者に「自分の専門知識だけでは解けない問題を扱う体験」を与えた。

この設計思想は後に、「Problem Finding Problem Solving(PFPS)」コースへと発展する。批判的思考・デザイン思考・システム思考を統合的に扱うこのコースは、「Berkeley Innovative Leader Curriculum」の核科目として位置づけられた。


ジェイコブズ・デザインイノベーション研究所と越境型教育

2013年、UCバークレーにポール&ステイシー・ジェイコブズ記念財団の支援を受けて「Jacobs Institute for Design Innovation」が設立される際、ベックマンは初代チーフ・ラーニング・オフィサー(CLO)として参加した。

ハース経営大学院と工学部College of Engineeringの双方に50%ずつ在籍するという異例の分担で、デザイン関連カリキュラムを工学教育全体に組み込む取り組みを主導した。学部横断の「Certificate in Design Innovation」創設にも貢献し、ビジネス・エンジニアリング・デザインの三領域をつなぐ制度的な仕組みを作った。

「Collaborative Innovation」コースでは、アートプラクティス・演劇・ダンスのパフォーマンス研究とビジネスの視点を統合するという、さらに大胆な教育実験を行っている。分野の違いが生み出す摩擦と創造性の関係を、授業そのものの設計で体験させようとするアプローチだ。


受賞歴と影響

UCバークレーでの教育活動に対してハース校内の「Distinguished Teaching Award」を3度受賞し、キャンパス全体の「Distinguished Teaching Award」も受けている。2018年には「Carol D. Soc Distinguished Graduate Student Mentoring Award for Senior Faculty」を受賞。教育の質と学生支援の両面で、組織内での評価が高い。

ベックマンの存在が際立っているのは、教授法の工夫よりも「どこにポジションを置くか」という選択そのものにある。ビジネスでも工学でもデザインでもない「その間」に立ち続けることで、それぞれの言語を使いながら異なる文化を接続してきた。


デザイン思考教育への含意

ベックマンの軌跡から、デザイン思考教育の設計に関して一つの示唆が得られる。

デザイン思考を「手法のセット」として教えると、学習者は手法を覚えるがプロセスを内面化しない。「なぜその手順が存在するのか」を「どのように人は学ぶか」という普遍的な認知モデルに接続して教えると、手法の応用可能性が格段に広がる。

「イノベーションを学習プロセスとして捉える」というベックマン&バリーのフレームは、まさにこの「なぜ」への答えだ。デザイン思考の5フェーズを手順書として使う実践者と、その背後の学習モデルを理解して使う実践者では、未知の文脈への適応力に差が出る。


参考文献・出典


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