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デザイン思考とWicked Problems|「邪悪な問題」への実践的対処法

Wicked Problems(邪悪な問題)とは何か、なぜデザイン思考がその解法として有効なのかを解説。リチャード・ブキャナンの理論的枠組みから200回以上のワークショップで得た現場知見まで、実践者のための具体的アプローチを体系化する。

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「この問題、どう解けばいいか分からない」——実務の現場でデザイン思考を学んだ人が最初に感じる壁がここにある。手法は知っている。しかしそれを当てはめようとした瞬間、問題が思っていたよりずっと複雑で、手法が滑っていく感覚を覚える。

その感覚には名前がある。Wicked Problems(邪悪な問題)だ。そしてデザイン思考は、この種の問題に向き合うために設計された思考様式だ。

Wicked Problemsとは何か

「Wicked Problems(邪悪な問題)」という概念は、都市計画家のホスト・リッテル(Horst Rittel)と建築家のメルヴィン・ウェバー(Melvin Webber)が1973年の論文 Dilemmas in a General Theory of Planning で提唱した。彼らが「邪悪」と呼んだのは、道徳的な意味ではなく、解決を拒む構造的な特性を指す。

リッテルとウェバーは10の特性を挙げているが、実務で特に重要な特性は以下の3つに集約される。

問題の定義が解決策に依存する。貧困問題を「収入の不足」として定義するか「機会の欠如」として定義するかによって、解決策は全く異なる。そして問題の正しい定義は、解決策を試みた後にしか分からない。問題と解決策が循環しているのだ。

唯一の「正解」が存在しない。より良い解決策と、より悪い解決策は存在する。しかし数学的な意味での「正解」はない。価値観の違いによって、何が「良い解決」かの評価が変わる。

試行のたびに問題が変化する。複雑な社会システムの中に問題が埋め込まれているため、解決策を試みると、その結果が問題の全体像を変える。「一度きりの試行」であることが多い——核のテスト航空機の開発はやり直しがきかない。

リチャード・ブキャナンの拡張——デザインとWicked Problemsの接続

リチャード・ブキャナン(Richard Buchanan)は1992年の論文 Wicked Problems in Design Thinking でこの概念をデザイン領域に持ち込んだ。ブキャナンの貢献は、「デザインが扱う問題はすべてWicked Problemsである」という命題にある。

ブキャナンの論点は明快だ。設計の問題には「あらかじめ存在する解法」がない。良いデザインとは何かは、使う人、使う文脈、社会的価値観によって変わる。さらに、デザインされたものは社会に出た後、意図しない方法で使われ、意図しない影響を与える。これはリッテルとウェバーが定義したWicked Problemsの特性と構造的に一致する。

この洞察がデザイン思考に与えた影響は大きい。デザイン思考の5フェーズ(共感→問題定義→創造→プロトタイプ→テスト)は、Wicked Problemsへの構造的な対処プロセスとして読み解くことができる

デザイン思考がWicked Problemsに有効な理由

「問題定義」を反復可能にする

共感フェーズで収集した情報は、定義フェーズで問題を「暫定的に」定義する材料になる。この「暫定的に」が鍵だ。Wicked Problemsに対して「完全な問題定義」を求めることは不可能だ。しかし「今持っている情報で、最善の問題定義をする」ことは可能だ。

デザイン思考の共感→定義→共感という反復は、問題の定義を少しずつ精緻化するプロセスだ。ワークショップ現場でよく起こるのは、「最初に定義した問題が、ユーザーインタビューを経た後に根本的に書き換えられる」場面だ。これは失敗ではなく、Wicked Problemsへの正しい対処法だ。

プロトタイプで「試行の学習」を積む

Wicked Problemsの特性として「唯一の正解がない」ことを述べた。これは「何でもよい」ということではなく「複数の暫定的な解を試してフィードバックを得る」プロセスが必要だということだ。

プロトタイプフェーズは、低コストで仮説を試す仕組みだ。完成品を作る前に、紙のプロトタイプ、ロールプレイ、デジタルモックアップで「この方向性は正しいか」を問う。Wicked Problemsに対して「一発で正解を出す」アプローチは機能しない。プロトタイプを通じた反復的な学習が、唯一機能するアプローチだ。

ステークホルダーの「多様な正解」を統合する

Wicked Problemsは価値観の対立を内包する。医療サービスのデザインを考えるとき、患者・医師・看護師・経営者・保険会社は、それぞれ異なる「正解」を持つ。

デザイン思考の共同創造(Co-creation)のアプローチは、この対立を「どちらが正しいか」ではなく「どう統合するか」という問いに変換する。ステークホルダーマッピングサービスブループリントは、異なる当事者の視点を一枚の図に統合するためのツールだ。

実践——Wicked Problemsに向き合うワークショップ設計

Wicked Problemsを前にしたとき、「解決策を出すことが目標のワークショップ」は機能しない。代わりに「問題をより深く理解することが目標のワークショップ」が有効だ。

200回以上のワークショップで繰り返し観察されるパターンがある。クライアントが「解決策が欲しい」と言って来た時、実際に必要なのは「問題の正確な定義」であることが多い。ワークショップの最初の2時間を問題定義に集中させると、クライアント自身が「自分たちは間違った問題を解こうとしていた」と気づく場面が繰り返される。

ステップ1: 問題を複数の「視点」から記述する

最初に「この問題は誰にとっての問題か」を問う。顧客、従業員、経営者、社会——それぞれの視点から問題を記述する。この段階で「視点によって問題が全く異なる」ことが可視化される。

ステップ2: 「解けない理由」を先に列挙する

「なぜこの問題がこれまで解かれていないのか」を問うことで、Wicked Problemsの特性を先に受け入れる。これは敗北主義ではなく、「どの制約の中で解くか」を意識化する作業だ。

ステップ3: 暫定的な「How Might We(HMW)」を設定する

問題の完全な理解を待たずに、現時点で最も有望な問いを「暫定的に」設定する。HMWは疑問形であり、「こうすれば解ける」という断定ではない。この「暫定性」を明示することで、チームは「この問いが間違っていた場合に戻れる」安心感を持って前進できる。

Wicked Problemsを「解く」のではなく「管理する」

ブキャナンの論文から30年が経過した現在、Wicked Problemsへの理解は深まっている。重要な認識の更新は「Wicked Problemsは解けない」という認識だ。

これは諦めではなく、正確な理解だ。貧困、気候変動、組織文化の変革——これらの問題に「完全解」はない。デザイン思考ができるのは、問題をより良い状態に向かって動かし続けることだ。「解く」のではなく「管理する」という動詞の転換が、Wicked Problemsとの正しい向き合い方を示している。

この認識は実践者にとって解放的でもある。「なぜ一度やったのに問題が続くのか」という問いへの答えが変わる。それは実践の失敗ではなく、Wicked Problemsの本質的な特性だ。継続的な関与と反復的な改善が、デザイン思考による唯一の応答だ。


まとめ

Wicked Problemsは、デザイン思考が登場した根本的な理由と直結している。単純な問題は既存の手法で解ける。デザイン思考が必要なのは、定義が困難で、正解が一つでなく、試行のたびに変化する問題——すなわちWicked Problemsに直面した時だ。

ダブルダイヤモンドの発散と収束、共感フェーズでの一次情報収集、プロトタイプによる仮説検証——これらの手法はすべて、Wicked Problemsに対処するための構造として読み解くことができる。

手法の背景にある理論を理解したとき、実践者は「なぜこれをやるのか」を説明できるようになる。それは組織の中でデザイン思考を推進する際の、最も強力な武器のひとつだ。

参考文献

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