共感

顧客理解の錯覚:7割の企業が陥る「わかっているつもり」からの脱出

新規事業の失敗原因1位は「市場ニーズの欠如」。調査では72%の企業が顧客を理解していると自己評価するが、実態とは大きく乖離している。デザイン思考の共感フェーズが解くこの構造的問題と、N=1リサーチが開く突破口を解説する。

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新規事業プロジェクトが行き詰まる現場で、よく耳にする言葉がある。「うちは顧客のことをよくわかっている」。しかし、その確信こそが、最初の、そして最大の落とし穴かもしれない。

売上高100億円以上の企業で新規事業開発に携わった579名を対象とした調査(2025年12月実施)では、72.3%の担当者が「顧客を十分に理解している」と自己評価していた。ところが、同じ調査でプロジェクトの単年黒字化を達成できたケースは約10%に過ぎない。自信と結果の間には、埋めがたい乖離がある。

「わかっているつもり」が生まれる構造

なぜ企業は顧客理解を錯覚するのか。ワークショップの現場でこの問いを参加者に投げかけると、決まって似たような答えが返ってきます。「営業データを毎週見ている」「アンケートを年2回実施している」「現場の声はSlackで共有されている」。

しかし、データは顧客の行動を記録するが、その行動の背後にある文脈や感情を教えてはくれません。アンケートは顧客が意識できる範囲のことしか回答できない。Slackに流れる「現場の声」は、往々にして既存顧客の既存の不満であり、まだ言語化されていないニーズとは別物です。

IDEOやd.schoolが共感フェーズを「プロセスの起点」に置いているのは、まさにこの構造的な盲点への処方箋です。共感とは、顧客について調べることではなく、顧客とともに経験することを意味します。

新規事業失敗の第一位は「市場ニーズの欠如」

同調査において、新規事業が失敗した原因の第一位は「市場ニーズの欠如(30.1%)」だった。この数字が示すのは、技術力や資金の不足ではなく、「誰のどんな問題を解くのか」という根本的な問いの省略だ。

ある食品メーカーの新規事業担当チームが経験したケースが示唆に富む。健康食品の新ラインを立案する段階で、チームは既存の購買データと競合分析をもとに「40代女性向けの低糖質スナック」を設定した。アンケートでも「そういう商品があれば購入したい」という回答が多数得られた。しかし実際に発売すると、想定の3割程度しか売れなかった。

後から現場インタビューを行うと、ターゲットとした40代女性が「スナック」というカテゴリ自体に罪悪感を抱えており、どれだけ低糖質でも「ご褒美以外の文脈では買いにくい」という意識が根深くあることがわかった。アンケートでは「購入したい」と答えていた人が、実際の購買行動では別の判断をしていた。

これが「顧客理解の錯覚」の典型例だ。顧客は、聞かれたことに誠実に答える。しかし、自分の無意識のブレーキについては、問われない限り答えることができない。

共感フェーズの本質:コンテキストに飛び込む

デザイン思考のEmpathize(共感)フェーズは、単なる「顧客の声を聞く」プロセスではない。顧客の生活文脈の中に入り込み、言語化されていない経験を観察・理解するプロセスだ。

d.schoolのガイドラインでは、共感の方法として三層を提示している。Watch(観察)、Listen(傾聴)、Experience(体験)だ。

まず観察。顧客が実際に商品を使っている場に行く。会議室でヒアリングするのではなく、顧客の手元と表情を見る。データは結果を記録するが、観察は「なぜそうなるのか」を記録する。

傾聴と体験はセットで考えるといい。「なぜそうしているのか」を問い返しながら話を聞き、可能なら自分でも同じサービスを使ってみる。頭で理解することと、身体を通じて理解することは、入ってくる情報が違う。

この三層を実践するために必要なのは、特別なツールでも高額なリサーチ費用でもない。必要なのは、オフィスを出ることだ。

N=1リサーチが拓く突破口

調査で明らかになったもうひとつの発見は、単年黒字化を達成したプロジェクトが「N=1の定性リサーチ」を重視していたという点です。N=1とは、統計的サンプルではなく一人の顧客に深く向き合うアプローチを指します。

一人の顧客に2時間かけてインタビューすることで、1,000件のアンケートでは見えなかった「なぜ」が浮き上がってきます。その「なぜ」が、プロジェクトの方向を根底から変えることがある。

実際にやってみると、このことに多くのチームが驚きます。老後の資産形成アプリを開発していたあるチームが、ターゲットである50代男性一人に3時間かけてインタビューを行いました。そこで見えてきたのは、「老後の不安」は確かにあるが、「今の生活費を削って投資に回すことへの家族への申し訳なさ」という感情が、アプリへのログインを妨げていたという事実でした。

この発見がなければ、チームはUIの改善やシミュレーション機能の追加を繰り返していたでしょう。真の障壁は機能でも操作性でもなく、「家族の同意を得る体験」の欠如でした。N=1のインタビューが、開発方向を180度変えたのです。

顧客理解の深度チェック:5つの問い

ワークショップで使う「顧客理解の錯覚チェック」を紹介する。自プロジェクトに照らし合わせて考えてみてほしい。

問い1:直近3ヶ月以内に、顧客の「生活の場」を直接観察したか? オフィスでの会議でもなく、展示会での立ち話でもなく、顧客が実際に商品・サービスを使う場所や生活の現場を訪れたかどうか。

問い2:インタビューで「なぜ」を5回以上連続して問い返したか? 最初の答えは表層にある。「なぜそう感じるのか」「なぜそうしているのか」を繰り返すことで、根本にある動機や感情に近づく。

問い3:顧客が「言わなかった」ことを記録しているか? 言葉を濁した場面、話題を変えた瞬間、表情が曇った瞬間。語られたことより、語られなかったことが本質に近い。

問い4:自社の仮説を否定するデータを意図的に探したか? 確証バイアスは誰にでもある。「やはりそうだった」ではなく「これは想定外だった」と言えるデータがあるか。

問い5:顧客理解を「更新」する仕組みがあるか? 3年前のリサーチ結果を今も使っていないか。顧客の状況、感情、文脈は変わり続ける。顧客理解は一度完成するものではなく、継続的に更新するものだ。

この5問のうち、自信を持ってYesと答えられるのが3つ以下なら、顧客理解の見直しを始める価値がある。

定量と定性を「往復する」思考法

優れた新規事業チームに共通するのは、定量データと定性リサーチを一方向に進むのではなく、往復しながら意思決定の精度を高めているという点だ。

定量データは「何が起きているか」を教えてくれる。購買率が下がっている、離脱が特定の画面で集中している、特定の属性のコンバージョンが低い。これは「どこを見るべきか」を指し示す地図だ。

定性リサーチは「なぜ起きているか」を教えてくれる。定量で見えた現象を持って、実際に顧客に会いに行く。そこで得た「なぜ」を持ち帰り、また定量で検証する。この往復運動が、顧客理解の深度を上げる。

IDEOのティム・ブラウンが強調するのも、このサイクルの重要性だ。インサイトはデータと人間経験の交差点から生まれる——これがIDEOの一貫した立場だ。どちらか一方だけでは、錯覚は生まれやすい。

やってみよう:30分の共感ウォーム・アップ

チームのミーティング冒頭30分を使う「顧客文脈マップ」を試してほしい。

ホワイトボードを4つのエリアに分ける——「やっていること」「気にしていること」「感じていること」「言っていること」。そこに、今週実際に顧客と接触した内容のみをポストイットで貼っていく。推測も、3ヶ月前のインタビュー記憶も、禁止だ。

30分後、空白のエリアが顧客理解の盲点だ。「感情」エリアが空なら、チームは行動を見ているが内面を見ていない。「発言」エリアが空なら、今週誰も顧客と話していない——ということが可視化される。

特にこんなチームに試してほしい

  • 新規事業の立ち上げフェーズにあり、ペルソナをデータだけで作成している
  • 「ユーザーインタビュー」を年1回の定例作業として位置づけている
  • 顧客から「そんなことは言っていない」「使いにくい」というフィードバックが繰り返し来ている
  • 社内の「顧客像」についてチームメンバー間で認識がバラバラになっている

顧客理解の錯覚は、怠慢から生まれない。忙しさの中で手元にあるデータに頼ることは、合理的な判断に見える。ただ、その「合理的な判断」が積み重なった先に、市場ニーズの欠如という30%の失敗がある。

72%の企業が「理解している」と言う。その自信のまま、新規事業は動く。そして10%だけが黒字化する。デザイン思考の共感フェーズが促すのは、この構造への処方箋——出かけること、それだけだ。


参考

  • CULUMU, 「新規事業開発における顧客理解実態調査」, 2025年12月
  • Tim Brown, Change by Design, HarperBusiness, 2009
  • d.school, “Design Thinking Bootleg”, Stanford d.school, 2018
  • IDEO, “Design Thinking for Educators Toolkit” (2nd ed.), IDEO LLC, 2012
  • Clayton Christensen, “The Innovator’s Dilemma”, Harvard Business Review Press, 1997

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