自動車・モビリティ業界にデザイン思考を実装する——「所有」から「体験」への価値転換
EV化と自動運転レベル3-4移行、MaaS化が進む中、性能スペックによる差別化が効かなくなった自動車業界にデザイン思考をどう実装するか。ジャーニーの再定義、信頼構築の共感設計、実践パターンを解説する。
EV化と自動運転レベル3-4移行、MaaS化が進む中、性能スペックによる差別化が効かなくなった自動車業界にデザイン思考をどう実装するか。ジャーニーの再定義、信頼構築の共感設計、実践パターンを解説する。
新型EVの航続距離は競合に劣っていない。加速性能も安全性能評価も申し分ない。それなのに、なぜか選ばれない——商品企画会議でこの手のモヤモヤを口にしたことのある担当者は、決して少なくないはずだ。
スペック表を見比べる限り「勝っている」はずの製品が、市場では「選ばれない」。この矛盾を説明しようとすると、たいてい「ブランド力」や「マーケティングの差」で片付けられてしまう。だが本当にそれだけだろうか。性能の優位性と、選ばれることは、そもそも別の問題なのではないか。その問いを、デザイン思考の枠組みで捉え直してみる。
自動車という商品の差別化軸が、ここ数年で急速に薄れてきた。
EVの普及によって、内燃機関時代に培われた「エンジンフィール」「変速の滑らかさ」といった性能差は、もう意味をなさない。パワートレインの基本構造がシンプルになったぶん、航続距離や加速性能の差も縮まりやすい。自動運転支援機能(車線維持・自動ブレーキ・駐車支援など)も、いまや多くのメーカーで標準搭載に近い(各社の搭載レベル・機能範囲は要確認)。かつては「上位グレードだけの特別な体験」だった機能が、いつのまにか当たり前の前提に変わった。
同時に、MaaS(Mobility as a Service)やカーシェアリング、サブスクリプション型の利用形態が広がったことで、「車を所有する」という前提そのものが相対化されている。ユーザーにとって車は「買って所有し続けるもの」から「必要なときに使うサービス」へと、少なくとも一部の利用シーンでは、すでに移行しつつある。
この状況で、商品企画のプロセスが依然として「スペック表を起点に、購入前から納車までの一直線ジャーニー」で設計されたままなら、コモディティ化した性能軸の中に埋もれるだけだ。問うべきは、性能の磨き方ではなく、設計の対象そのものだろう。
デザイン思考、とりわけカスタマージャーニーマップの手法は、この転換に直接使える道具立てを持っている。ただし、そのまま流用するのではなく、自動車・モビリティ業界に固有の2つの論点を組み込む必要がある。
従来の自動車のジャーニーマップは、「認知→検討→購入→納車→(長い所有期間)→手放し」という一直線の構造で描かれることが多かった。これは「1台を長く所有する」時代の設計対象としては妥当だった。
しかし、サブスクリプションやシェアリングが利用形態の一部になると、ユーザーは「購入」ではなく「毎回の利用開始」を繰り返す。ジャーニーは一直線ではなく、円環に近い反復構造になる。この場合、デザインの焦点は「購入時にどう感動させるか」ではなく、「毎回の利用がどれだけスムーズで、どれだけ気持ちよく繰り返されるか」に移る。乗るたびに車種や状態が変わりうるシェアリングでは、「毎回のはじめまして」をどう解消するかが、体験設計上の中心課題になる。
自動運転(SAE基準でいうレベル3・レベル4への移行期)には、従来のデザイン思考の共感フェーズが扱ってこなかった、固有の心理的課題がある。ユーザーがシステムをどれだけ信頼するかという軸だ。
信頼が過剰になれば、システムの限界を超えた場面でも運転操作への復帰が遅れる「過信」のリスクが生じる。逆に信頼が不足すれば、便利な機能があっても常にハンドルに手を添え続けてしまい、機能本来の価値を体感できない「過剰警戒」に陥る。どちらも、単純な機能の出来不出来では説明できない、体験設計上の課題だ。
この「信頼のちょうどよい着地点」を探るプロセスは、まさにEmpathizeフェーズが得意とする領域である。ユーザーがどの瞬間に不安を感じ、どの瞬間に安心して手を離せるようになるのか。それを実際の利用場面で観察し、段階的な情報提示やフィードバックのデザインへと落とし込む——地味だが、ここでしか埋まらない差だ。
個別企業の成功事例として断定的に語ることは避けたいが(固有の企業名・数値による裏付けは、記事公開前のファクトチェック工程で別途検証される想定)、モビリティ関連の商品・サービス開発の現場で繰り返し見かける場面を、匿名化したうえで具体的に描いておく。
これらはいずれも、性能スペックの改善では解決しない、体験設計側の課題である。
移動体験の主導権を握るのは、もはやエンジン性能や航続距離の数値だけではない。乗る前の期待から、乗っている間の安心感、降りた後の余韻まで——その全体の設計が、すでに選ばれる理由になっている。
次の商品企画レビューで、スペック表の隣に「乗る前〜降りた後までの感情変化マップ」を1枚だけ置いてみる。大がかりな変革はいらない。性能で語れなくなった部分を、体験の言葉で語り直せるかどうか——勝負はそこでもう始まっている。
関連: 製造業のデザイン思考 / カスタマージャーニーマップ実践ガイド / サステナブルプロダクトとデザイン思考 / 行動デザインとBMAP統合