デザイン思考 公共部門・自治体活用の実践 — 行政改革ケース3選と現場の壁
デザイン思考を公共部門・自治体の行政改革に適用した国内外の実践ケース3選。民間と異なる制約構造を踏まえた上で、なぜこのアプローチが機能するのか、どこで躓くのかを具体的に解説する。
デザイン思考を公共部門・自治体の行政改革に適用した国内外の実践ケース3選。民間と異なる制約構造を踏まえた上で、なぜこのアプローチが機能するのか、どこで躓くのかを具体的に解説する。
「民間企業のやり方を行政に持ち込んでも、うちには通じない」——公共部門でデザイン思考のワークショップを実施すると、この言葉を必ず聞く。法規制・予算サイクル・議会への説明責任・縦割り組織構造。民間とは根本的に異なる制約の中で、デザイン思考はどう機能するのか。
答えから言えば、「制約が多いからこそデザイン思考が効く」場面がある。一方で「制約の構造をそのままにするとデザイン思考は形骸化する」場面も存在する。この記事では国内外3つの実践ケースを通じて、その境界線を明確にする。
民間企業のデザイン思考導入と行政のそれは、根本的に目的が違う。民間はユーザー体験の改善によって競争優位を得ることが最終目標になりがちだが、行政の場合は「市民の生活課題を解決すること」が制度上の使命として明文化されている。
この違いは重要だ。行政にはすでに「ユーザー中心設計」の理由が内在している。問題は「なぜやるか」ではなく「どうやって実現するか」の方法論が欠落していることにある。デザイン思考はその方法論を提供する。
公共部門固有の制約も、整理すると3層に分かれる。制度的制約(法律・規制による設計の限界)、構造的制約(年度予算・調達ルール・縦割り組織)、文化的制約(前例主義・失敗回避・合意形成の複雑さ)。
デザイン思考が最も機能するのは、制度的制約の中でいかに選択肢を広げるかという問いに対してだ。逆に言えば、構造的・文化的制約には別のアプローチも組み合わせる必要がある。
神戸市は2018年頃から、高齢者の社会的孤立問題に取り組むにあたってデザイン思考のアプローチを採用した。従来の行政的アプローチは「施設をつくる」「プログラムを提供する」という「モノの設計」に傾いていた。しかし高齢者の孤立問題は、施設の有無より「なぜ外に出ないのか」「どんな場所なら行きたいと思うか」という感情的・行動的な問いに答えないと解決しない。
担当課は地域の高齢者宅への戸別訪問インタビューを実施した。「公民館は知っているが行ったことがない」「参加者がみんな顔見知りで入りにくい」「バスに乗るのが不安」——聞いてみると、施設の整備や情報提供だけでは届かない障壁が浮かび上がった。
収集した観察データを庁内の横断チームでKJ法的に整理し、インサイトを抽出した。「人が来ない理由の多くは、物理的距離より心理的ハードル」というインサイトが中心に据えられた。
これを受けて設計されたのが、既存の公民館に「非公式な入口」を設ける実験だ。カフェコーナーを設置し、「プログラム参加」ではなく「コーヒーを飲みに来る」という目的で足を踏み入れられる場所を作った。プロトタイプは最小限の予算で開始し、週1回の運営から反応を見ながら改善した。
実施にあたって最初の壁は「目的外使用」の問題だった。公民館にカフェを設けることが、施設の本来目的と合致するかという解釈問題が生じた。担当職員はこれを法務部門と事前に協議し、「地域コミュニティ活性化」という上位目的に紐づけることで承認を得た。
ワークショップでよく起こるのは、「できない理由」の列挙で止まることだ。 しかしこのケースが示すのは、「できない理由」を解釈論の問題として捉え直すと、打開策が見えてくるということだ。制約は固定されたルールではなく、その解釈に余地がある。
エストニアはデジタル行政の先進事例として世界的に注目されている。人口130万人弱の小国が、確定申告・選挙・法人登記・医療記録の共有を全てデジタルで完結させる仕組みを構築した。この設計の背景には、「市民を中心に設計する」というHCD的な発想が一貫している。
エストニアのデジタル行政設計が特徴的なのは、技術ファーストではなく「市民が何をやり遂げたいか」から設計を始めたことだ。確定申告の場合、市民の目標は「正確な申告書を提出すること」ではなく「税を正しく納めた状態になること」だ。この目標に遡ると、「申告書の記入」という作業自体を消去することができる。
エストニアのX-Road(政府間データ連携基盤)の設計思想は、「データは一度だけ提出すればいい」というワンス・オンリー原則だ。市民が役所に提出した情報を、別の手続きでも共有可能にするシステム設計は、「なぜ同じ情報を何度も書かなければならないのか」というシンプルな問いから生まれた。
これはデザイン思考でいう「問題の再定義」そのものだ。「申告書のフォームを改善する」という問いを立てずに、「そもそも申告書を書かせないためにはどうするか」という問いに変換している。
エストニアのモデルをそのまま日本の自治体に移植することは難しい。国土面積・人口規模・既存のレガシーシステム・政治的コンテクストが根本的に異なる。しかし「問いの立て方」は移転できる。「どうすれば今の手続きを電子化できるか」ではなく「この手続きをそもそもなくせるか」と問うことは、どの自治体でも可能だ。
渋谷区では障害福祉サービスの利用申請プロセスの改善に取り組むにあたって、当事者へのフィールドリサーチを実施した。障害のある当事者が複数の窓口を往復しながら手続きを行う現状を「サービスブループリント」の形式で可視化した。
可視化して初めて見えたのは、同じ情報を異なる担当課に5回提出しているという事実だった。担当課同士の情報共有の仕組みがなく、それぞれが「確認のため」に同じ書類を要求していた。担当者は問題を認識していなかった。なぜなら各自は自分の担当部分しか見えておらず、プロセス全体を俯瞰する視点がなかったからだ。
公共部門のデザイン思考において、民間と最も大きく異なるのはステークホルダーの複雑性だ。渋谷区のこのケースでは、障害当事者・家族・福祉担当課・医療機関・地域の支援事業者・区議会・財政担当課が全員ステークホルダーとして存在する。
ステークホルダーマッピングを丁寧に実施すると、「誰の課題を最優先に解決するか」という問いが浮上する。当事者と行政担当者の優先度が一致しない場面も多い。「誰のためのデザインか」という問いを常に問い直す作業が、公共部門では特に重要になる。
改善の結果、複数課で情報を共有する仕組みが導入され、当事者の往復回数が削減された。技術的な解決策ではなく、組織間の連携設計という構造的な変化だった。
ここまで機能した事例を見てきたが、形骸化するパターンも整理しておく必要がある。デザイン思考の組織導入における失敗事例と共通する構造が、公共部門にも存在する。
「アリバイ参加型」の市民ワークショップ。 設計方針が先に決まっており、市民参加のプロセスは「やった」という形を作るためのものになる。参加者の意見が設計に反映されない構造が固定化していると、何回ワークショップを実施しても現場は変わらない。
「年度末プロトタイプ問題」。 年度予算の消化に合わせてプロトタイプを作るが、年度が変わると担当者が異動し、学習が引き継がれない。デザイン思考の本質は反復改善だが、年度単位の組織では「試して学ぶ」サイクルが年度の壁で断ち切られる。
「専門家依存型」のプロセス。 外部コンサルタントにデザイン思考のプロセスを委託し、庁内に学習が残らない。プロジェクト終了後、次の課題に対して同じアプローチを自分たちで展開できない。
大規模な改革でなくても、小さな問いから始められる。
窓口業務の「詰まり観察」から始める。 1日だけ窓口に立ち、市民がどこで手が止まるかを観察する。「なぜここで止まったのか」を問うだけで、問題の種が見つかる。
「担当外」の視点を意図的に持ち込む。 自分の担当部分だけで問題を定義しない。上流・下流の担当者と共にプロセスを可視化すると、見えていなかった断絶が浮かぶ。
小さく試して記録する。 予算をかけずに1つの接点だけ変えてみる。その結果を記録し、「何が起きたか」を数週間後に検証する。このサイクルが庁内に積み上がると、デザイン思考は「ワークショップで使う手法」から「日常の業務姿勢」に変わる。
公共部門でのデザイン思考の実践は、民間と同じプロセスでは機能しない部分がある。しかし、「誰のためのサービスか」と問い直す力と、小さく試して学ぶ反復の姿勢は、制約の多い環境でこそ有効だ。大きな変革を一度に起こそうとしないことが、むしろ持続的な変化につながる。
関連する手法として、ステークホルダーマッピングと大規模組織における導入事例もあわせて参照してほしい。