事例研究

デザイン思考でデジタルバンキングを変えた——DBS・Capital One の実装解剖

DBS銀行の「Live More, Bank Less」戦略とCapital OneのAdaptive Path買収から、デジタルバンキングにおけるデザイン思考の実装方法を解剖する。ユーザージャーニー起点の組織変革と、デザイン組織内製化がもたらす実装条件を3つの共通条件として抽出する。

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デジタルバンキングのUX改善は、多くの金融機関が「やっている」と言う。しかしユーザーが体感する変化は、多くの場合小さい。

理由は単純だ。UIを変えることと、サービスの設計思想を変えることは、まったく別の取り組みだ。DBS銀行と Capital One は、後者をやった。UIではなく、銀行として何をどの順序で提供するかの「思想の層」からデザイン思考を適用した。この2事例の実装を解剖する。


DBS銀行——「バンキングを見えなくする」という設計思想

シンガポールの DBS 銀行(Development Bank of Singapore)が「World’s Best Digital Bank」(Euromoney 誌選出)に至るプロセスは、UI刷新の話ではない。「銀行という体験をどこまで消せるか」という問いからスタートした組織変革の話だ。

「Live More, Bank Less」という北極星

DBS の Strategy 2.0(2014年以降)の中核にあったのは「Making Banking Joyful」というビジョンだ。このビジョンを実装するために採用された概念が「Live More, Bank Less」——顧客が銀行のことを考えなくて済む状態を作る、という思想だ。

通常の金融機関は「いかに顧客を銀行のサービスに引き付けるか」を起点にする。DBS はこれを逆転させた。「顧客が人生でやりたいことの文脈に、銀行をシームレスに組み込む」という視点からサービスを再設計した。

これはデザイン思考の「共感」フェーズの思想と直結している。ユーザーが本当に達成したいこと(Job to Be Done)は「送金する」「ローンを組む」ではなく「家族に仕送りをする」「家を買う」だ。この区別が、サービス設計の出発点になった。

ジャーニー思考と 4D フレームワーク

DBS が組織全体に展開したのが「ジャーニー思考(Journey Thinking)」だ。従来の業務プロセス(銀行の都合の順序)ではなく、顧客がタスクを達成するために辿る行動の連鎖を起点にする思考法として、全社員への展開が行われた。

実装フレームワークとして DBS が採用したのが「4D Framework」だ——Discover(顧客の現場でリサーチ)、Define(課題を言語化)、Develop(解決策を開発)、Deliver(実装・改善)。デザイン思考の5フェーズをオペレーション化したこのフレームワークは、IT部門・リテール部門・法人部門を問わず共通の作業言語として機能した。

2017年に開始した社員向けデジタル学習プログラム「DigiFY」では、7つのスキル領域のひとつとして「ジャーニー思考」が位置づけられ、22,000人規模の組織変革を支えた(McKinsey のケーススタディより)。

実測値と成果

DBS のデジタル変革がもたらした定量的な成果として、顧客サービスクエリの処理時間が33%短縮されたことが報告されている(FS-ISAC の事例研究より)。また、音声バンキング機能の導入によりモバイルアプリ利用者が30%増加した。

重要なのは、これらの数値の背後にある設計の思想だ。処理時間の短縮は業務効率化の成果だが、その出発点は「顧客が銀行業務に費やす時間を減らす」というデザイン起点の問いだった。


Capital One——デザイン組織を「買収」した銀行

Capital One のデジタル変革は、より直接的なアプローチを取った。2014年、Capital One は著名なUXデザインファームであるAdaptive Path を買収した

Adaptive Path という資産

Adaptive Path は、ユーザーエクスペリエンスデザインの実践と理論を牽引してきたコンサルティングファームだ。「カスタマージャーニーマップ」という手法を実践として普及させた組織として知られている。カスタマージャーニーマップは現在では多くの企業が採用するが、その普及の一端を Adaptive Path が担った。

Capital One がこのファームを買収したことは、「デザイン思考を外部に委託する」から「デザイン思考を組織内部に内蔵する」への転換を意味した。American Banker 誌は、この買収を「デザイン能力を戦略的資産として扱う先例」と評した。

Capital One Labs と「逆から始める」設計

買収後、Capital One Labs はいわゆる「不正なイノベーション部門」として機能した。「Capital One 360 Cafe」と名付けた物理拠点をニューヨーク・ボストン・サンフランシスコ等に設置し、そこで顧客と対面してプロトタイプのフィードバックを収集するという手法を実装した。

この物理拠点は、デジタルバンキングにおける人間中心設計の逆説を体現している。デジタルを磨くために、わざわざリアルの接点を作る。ユーザーを実際に見ることなしに、ユーザーのためのデジタル体験は作れないという思想の実装だ。

また、既存の金融商品(当座預金口座開設・ネット口座作成・ATM体験)のフローを Labs チームが丸ごと再設計したプロジェクトが複数走り、銀行アナリストがデザイン思考のコーチになっていくという組織変容も起きた。

デザイン組織の内製化がもたらしたもの

Capital One が Adaptive Path 買収後に達成した変化で、最も目に見えやすいのは組織構造の変容だ。デザイン専門家が数百名規模のチームとして全ビジネス領域に統合され、テクノロジー・データサイエンス・プロダクト各チームが同じ場で協働するようになった(Capital One Tech ブログ「Marking over 10 years of experience design」より)。

数値としての成果は、複合的な要因が絡むため特定の施策への帰属が難しい。しかし Capital One 自身が言語化するのは「人間中心設計のアプローチによってチームが顧客の意図をより深く理解できるようになった」という質的な変化だ。顧客の行動データを分析するだけでは次の行動を予測できても、顧客が本質的に何を達成しようとしているかは見えない。Adaptive Path の知見を取り込んだ質的なユーザーリサーチが、定量データの解釈精度を高める基盤になった。


2事例から抽出する3つの共通条件

DBS と Capital One、アプローチは異なる。一方は組織文化全体の変革、一方はデザイン専門組織の内製化。しかし成功に至るための条件には共通点がある。

条件1:UIでなくサービスの「順序」を変える

両社とも、アプリの画面デザインより先に「何をどの順序でユーザーに提供するか」を再設計した。DBS の「ジャーニー思考」も、Capital One の「フロー全体の再設計」も、インターフェースの手前にある構造の問題を扱っている。

デザイン思考の本質的な価値は、ツールや手法の問題ではなく、問題の起点をユーザーの文脈に置くという思考の構造にある。

条件2:法務・コンプライアンスをプロセスに組み込む

金融機関でのデザイン思考の実装が失敗するパターンの多くは、プロトタイプ段階でコンプライアンス部門からの拒否が来て止まることだ。DBS も Capital One も、法務・コンプライアンスを「テスト後に審査する部門」ではなく「設計初期から参加する部門」として位置づけた。

規制の制約は「何ができないか」の壁ではなく「この形ならできる」の条件設定として機能させる——これが金融領域でデザイン思考を動かす実践的な鍵だ。

条件3:経営レベルのコミットメントと測定可能な目標

DBS の場合、2014年の CEO 交代(ピユシュ・グプタ体制)がデジタル変革の大きな転換点だった。経営トップが「バンキングを見えなくする」という設計思想を掲げ、そこへの投資を正当化したことで、組織全体が同じ方向に動けた。

Capital One の場合、Adaptive Path 買収という意思決定自体が経営レベルのコミットメントの表明だった。「デザイン能力は外注するものではなく、自社に内蔵するものだ」という判断は、経営戦略の言語での意思決定だ。

デザイン思考の組織導入が失敗する多くのケースで、経営層のコミットメント不足と「成果の測定方法が定義されていない」という問題が重なる。DBS の「World’s Best Digital Bank」というKPIも、Capital One の「モバイルエンゲージメント」という指標も、測定可能な目標として機能していた。


デジタルバンキングにおけるデザイン思考の限界

最後に、限界についても触れる。

DBS と Capital One の成功事例は、その規模と経営へのコミットメントが前提条件になっている。中規模の地域金融機関や信用組合がまったく同じアプローチを取れるかというと、リソースの現実が異なる。

また、「デザイン思考を適用した」という因果関係の証明は常に難しい。DBS の成果は、デザイン思考の導入と同時期にシンガポール市場の成長・IT投資増加・規制環境の変化が重なっており、デザイン思考単独の貢献を分離することはできない。

それでもこの2事例が示すことは明確だ。銀行業務の「見た目」を変えることと、銀行業務の「起点」をユーザーに置くことは、まったく別の取り組みだ。 後者に着手した組織だけが、デジタルバンキングにおけるユーザー体験の本質的な変化を生み出せた。

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